生きていくということは単に命がある、心臓が動いているということではないはずです。
家族、友、恋人、仕事仲間、学友等と、思い出を語らい、また、食事をし、酒を飲みながら世間話や馬鹿話をし、笑い、怒り、
涙を流すことが生きていくということであり、基本的生活だと思います。
そして、この基本的生活は、たとえ癌やエイズをはじめ種々の病気のため終末期を迎えつつある患者さんにも健康な人と同様に、当然の権利として与えられるべきものだと思います。
しかし、現在の医療は、治癒させることが、第一の目的であるため、終末期を迎えつつある患者さんに適切な治療やケアを施行できる
施設やシステムが確立されておらず、そのため、病院という収容所に隔離されている状況にあります。
「何もないから、工夫をする」
4月28日からペシャワールに1週間休養を兼ねて視察に行くので、中村 哲医師に電話をしました(現在日本です)。
そのとき中村先生が「現地は何も無いから、色々工夫をする」と言われました。
作家の村上 龍氏は「日本には何でもあるが、夢が無い」と、書いています。
私は忙し過ぎる毎日をおくっています。これはある意味では、何でもあるが、夢が無い生活かもしれません。自分の色々な経験が患者さんと話をする時、役立つと考え、忙しすぎる人生の悪影響に関し、学ぼうとしてきました。忙し過ぎる人生を忙しくなく出来ないのかが、今のテーマです。忙しくないというのは、暇というわけではなく、豊かに、深く、生きるにはという意味です。暇を望んでいるのではありません。
何も無いペシャワールだからこそ、何かを生み出す力をもらえるかもしれません。彼らの知恵を学んで期待と思っています。
中村先生と話をして驚いたのは、ペシャワールで最近選挙があり、何とタリバンが大勝したそうです。今ペシャワールはタリバンの政策が主で、アルコールも全面禁止だそうです。タリバンは大衆に指示され、北パキスタンはタリバンが主だそうです。
日本の報道と現実の違いにあきれていました。これは、国内の報道も同じで、医療現場の小さなことが、鬼の首を取ったように報道されているような部分もあります。他の分野でも同じでしょう。そして、だんだんそれが日常茶飯事のような気に社会がなってきて、規制が制度化されて、社会がますます窮屈になり、心が縮こまり、ひいては自殺へとつながっていくのでは。何せ、日本は世界一の自殺国です。
この国は、何も無いから工夫する豊かさを、学ぶ必要があると思います。自分も学びたいと思います。
この1,2年の抑うつから少しずつ脱皮しつつあります。その回答は「何も無いから工夫する」という言葉と何も無い所で生きている人の知恵の中にあるような気がします。
竜馬が江戸に遊学したように、ペシャワールに遊学しに行って来ます。
「始めたものは、やめるわけにいかない。引き受けたものは、投げ出すわけにいかない。」
雑誌Big Tomorrowの3月号に尊敬しているプロレスラー「三沢 光晴」の記事が載っていました。
ジャイアント馬場が亡くなったあと、プロレスラーを辞めようと思ったそうです。
「もし、三沢光晴という一人のレスラーの気持ちだけだったら辞めていたかもしれない。でも、後ろを向けば自分についてくる人間が何十人といましたから。あのとき、これは辞められないと思ったね」と答えています。
私も堂園メディカルハウスを頼ってくる患者さんがいる限り、身を削ってでも、頑張らなければいけないと、このコメント読み感じました。今でも、難民のように病院を追い出されそうな患者さんが沢山相談に来られます。何とか対応したいのですが、看護婦さんの数が足りません。でも、始めたものは、求められている限り、辞めるわけにはいきません。妻といつも話しています。
三沢はさらに言います。「やりたいようにやらなきゃ意味ねえよ。テメエの人生なんだから。満足なんかしてたら、そこで成長は止まっちゃう」と。
私が今月末にパキスタンのペシャワールに行くのも、患者さんのために次なる施設つくりの視察の目的もあります。
堂園メディカルハウスで満足していたら、今まで私が看取った人から学んだものが生かされません。今まで亡くなった患者さんが教えてくださった何かを形にしなければ、怒られそうです。
新しい会社を作る時、マスコミは大手スポンサーがついたとか日本テレビと話ができているとか書かれたけれど、「言いたきゃ言っとけや」と言う気持ちだったと、三沢は言います。
私も堂園メディカルハウスを作る時自己資金0で親にも資金援助を受けず「時代が担保だ。採算はわからないが、勝算はある」と大見得を切りました。今でも、色々外野の声が聞こえますが、天に任せています。
「自信は自分がやってきたものの積み重ねだからね。明日、一週間後、あるいは一年後、もっと先になって振り返って時に、「今のオレはあの頃のオレより自信を持っている」と、確信を持って言えればいいんじゃなにかな。人生に”たら”、”れば”はない。後悔しても時間は戻らないからね。それだけを胸に刻んで、毎日を必死に歩んでいけばいいじゃないですか」
私はこの三沢に言葉にどれだけ勇気付けられたことでしょう。きっと三沢も一プロレスラーと社長という間で、色々苦労があると思う。しかし、最後の言葉など、行動が伴わない学者が書いた人生論を超えている。
自信なんてなくていいんだ。振り返った時「今のオレはあの頃のオレよりは自信を持っている」と、確信を持って言えるように必死で生きよう。
「喜びがわかるようになるには、悲しみを知らなければいけません」(イエス・キリスト)
「死んで私が体験したこと」べティー・イーディー著、鈴木秀子訳、角川書店刊の中に出てくる言葉です。
非常にシンプルな言葉ですが、とても深い言葉です。
言葉綴り-34のMany Wintersもそうですが、悲しみは生きていく時、一番となりにいるものなのでしょう。自分の影のような存在かも知れません。
ベートーベンは「悲しみを通して喜べ」と書いています。耳が聞こえなくなった後で書いた言葉です。
想像できない絶望感の中で見つけた光から学んだ結果の言葉なのでしょう。
悲しみは誰かに悲しいと伝えることが大切です。
それはオノ・ヨーコが言っているように「一人で泣くことは出来ても、一人で笑うことは出来ない」、悲しみから喜びを知るには、人が必要です。
「Many Winters」
インディアンの長老が、人生を悟るとは「長い間雨が降らずに、砂漠のようになってしまった土地に草原を想像できることだ」と、話してました。そして、「あなたに私の気持ちを教えることは簡単だが、それでは老人として人生を最初から生きてしまう」と、話しています。
人はMany Winters、いくたびの冬を体験してこそ、人間になっていくのです。
私も、自殺するって、楽だろうなと、思うことがあります。あの世界を代表する黒澤監督も自殺をはかりました。
人は、冬が必ず、毎年来るのです。それは、自分の責任ではなく、自然の摂理なのです。私たちはいくたびの冬を経験してき、また、これからも経験するのです。冬はひとりでは生きていけません。北国の「かまくら」は、人が寄り添うための人の知恵です。
人は人でしか救うことが出来ない。この単純な理屈を皆忘れてしまっています。私は、いつも、人に助けてもらっています。
冬の時は、春を待つことです。
「3つの幸福」
マザーテレサは幸福には3つあると、話しています。
1.与えられる幸福
赤ちゃんは自分で何も出来ないので、周りからお乳など、色々与えてもらっている。
2.出来るようになる幸福
努力して何かが出来るようになると、幸せを感じるものです。
3.与えることが出来る幸福
この幸福が最も幸福であると、話しています。教えられる幸福もこの中に入るかもしれません。与えるということは、成熟と関係するそうです。成熟とは、相手を尊敬することであり、自分の持っている美しいものを他者に与えられることだそうです。一番美しいものは「命」であり、だから「命」を貧しい人に与えるように努力していたそうです。蝋燭の灯は暗闇を明るくするだけではなく、温かくします。懐中電灯は明るくしますが、温かくはしません。蝋燭は自分を燃やしながら明るくするので、温かいと言っています。