お見舞いの作法

お見舞いにも作法があるようだ。

先日、私の診療所の看護師が、茶道の第一人者の訪問看護に行ったとき、その作法を聞いてきた。

「前の病院で、あと1、2週間と言われたの。転院したとき先生に、まだしなければいけないことがあるから、あと2、3週間は生かしてくださいと、お願いしたの」看護師にそう話した患者さんは、やらなければいけなかったことはすべて終え、その2、3週間も過ぎていた。

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温故知新

有能な建築家である友人がスペインへガウディの建物を見に行った。1年間に約3500万人がスペインを訪れ、約2000万人がガウディの4つの作品(建物)を見るためにバルセロナを訪れるそうである、と友人は言う。

旅行者が宿泊代や食事代など1人5万円をバルセロナで使うとしたら、年間1兆円の経済効果である。これから最低200~300年位は観光客が訪れると考えられている。1人の芸術家が生み出した利益としては最大ではなかろうか。

最近、ワインの目隠しで競うコンテストで、上位5位までをカリフォルニアワインが占めたそうである。カリフォルニアワインの基礎を作ったのは、幕末の薩摩藩英国留学生の一人だった長沢鼎である。またサッポロビールの生みの親とされるのも留学生の村橋久成である。

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患者と私

診療所を開設して11月3日で10年である。開院時のあいさつに次のように書いた。

「多くの人々の汗が新しい風景を創り出しました。ひとしずくの雨が小さな川となりやがては大海となるように、日本の南端の小さな有床診療所での汗や涙がたくさんの支流をつくり、そして、日本全体を包み込むような新しい医療(New Medical Science)の海になることを夢見ております。」

そして今、10周年の決意を記念式の案内に書いた。

「インドのことわざに「千年の闇も1本のロウソクで明るくなる」とあります。1本1本燈してきましたロウソクも ようやく10本になりました。強風のため、消えてしまいそうな時もありましたが、スタッフと皆様方の支えでここまで消えることなく燈し続けることができました。振り返ってみて病む方々にとりまして、暴風雨の中の灯台(light house)の役目を少しは果たせたのではないかと自負しております。私達の次なる使命は、この地薩摩から友愛の風を世界中に届けることと考えております」

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異国の丘で

飢えは時に人を獣にするが、味は生きる原動力になる。

友人で画家の佐藤健吾エリオ氏からおじいさんの話を聞き、そう思った。

佐藤氏の祖父は戦後、シベリアに抑留された。祖父の家はみそ、しょうゆの醸造を営んでいた。抑留された時、苦労して手に入れた大豆でみそを作り、仲間にみそ汁を出した。一口すすったとき、皆の心に生きて日本に帰ろうとの思いが込み上げた。祖父の班だけ、帰還率が断トツに高かったそうである。

祖父はその事を誰にもしゃべらず、佐藤氏が小学校二年生の時、交通事故で急逝した。佐藤氏は成人後、祖父の抑留仲間から「あの時、一生懸命みそ汁をつくってくれて、みそ汁の懐かしい味に、私たちは生きて日本に帰るんだという気持ちになりました。あなたのおじいさんのおかげで希望を捨てず、こうして日本へ帰ってこられたのです」と、感謝の気持ちを聞いた。

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ほろ酔い気分で

作家の曽野綾子さんは近著『沈船検死』の中で、「人の品位は忍耐によって身につき、覚悟とも密接だ。失う覚悟、屈辱や誤解、罵倒される覚悟、最終的には死ぬ覚悟だ。失う覚悟のない幸福続きの人間だけが、何かを失うと動転するのだ」と書いている。

人は死に臨んで覚悟ができるのだろうか。死後の事を考えられるのだろうか。

元船乗りの植松正人さんは生前、胃がんと闘いながらこう話した。

「未練や思い残す事が無いと言えば嘘になります。しかし、それも運命だと思っています。悲しくないといえばこれも嘘になりますが、私以上に残されるものが悲しいでしょう。それも仕方がありません」

植松さんはさらに続けた。

「360度星しか見えない風景は不思議ですよ。でも、北極星を目指すとちゃんと希望する所に行けるのです。人生もそんなもんだと思います。死んだら灰の一部を生まれ故郷の山と太平洋に撒いてもらえれば十分です。太平洋に撒いた灰は世界中の海をめぐってくれるでしょう」

私はまだまだ、覚悟ができていない品性の未熟な人間だとつくづく思った。人生の折り返しの時期に、曽野さんの文章と植松さんの品性に出会え、人生の道しるべを教えてもらった。

植松さんはその生き方から「いつ止むかわからない暴風雨の向こうに、いつも北極星が輝いており、信じて進めば、必ず目的地に辿り着ける」ことを語ってくれた。

秋の昼下がり、お墓参りに行きたくなった。

―ほろ酔い気分で―

秋が

少しずつ

ほんの少しずつ

深まりいく

昼下がり

亡き人の想い出を

青空いっぱい

描きたいものだ

ほろ酔い気分で

平成18年9月30日 南日本新聞「南点」掲載

理想を抱く皆様へ〜祖国再生のための第一歩

理想という言葉は絶滅寸前の希少動植物のように、日本から消滅しかかっています。これが絶滅しないように日本人の誰かが踏ん張らなければ、日本という祖国に未来はありません。私の上の世代が夢を食い潰しつつあるとするのなら、次の世代である私達は残された夢を皆で育み、子の世代、孫の世代へと、伝えていく義務があります。

まず理想を抱き、その理想を実現するために夢を描き、そして、夢を実現するために行動する。このことの素晴らしさを、実際に示していく使命を最近痛切に感じています。

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マザーテレサへの道

昨年末、12月22日から28日まで、以前から是非行ってみたいと思っていたマザーテレサの施設に研修ボランティアへ行くことが出来ました。旅の目的は、この4年間頑張った自分へのご褒美と、たった一人で始めたマザーの活動が何故世界中に広がったのかを学ぶためでした。多くの寒さで震えている人を救うには、多くの毛布が必要であり、どのようにしたら多くの毛布を得られるかを学びたかったのです。そして、そのことが学べれば、今後の自分自身を含めメディカルハウス(以下DMHと略す)全体の成長、発展に大いに役立つと思ったからです。マザーテレサはもう20年以上前から尊敬しておりました。DMHを始めるにあたり基本的な考え方で影響を受けており、また、特別養子縁組を始めたのも、マザーテレサの考え方に強く影響を受けています。特に、「なくても与えよ」とか「傷つくまで愛せよ」等の言葉に出会いその思いに深く共感しておりました。

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わすれられない一冊の童話

私はとても大切にしている一冊の絵本がある。

 その絵本の表紙の裏には私がここ6,7年で看取った患者さんの名前が書いてある。その数は優に350名を超え、殆どが癌の患者さんである。そして、この絵本は多くの遺族の方にグリーフケアの一環として差し上げている。

 絵本の題名は「わすれられない おくりもの」(評論社刊)である。

 みんなに尊敬されていたアナグマが亡くなり、モグラやカエルやキツネ等森の仲間達は悲嘆にくれ、なかなか立ち直れない。

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