異国の丘で

飢えは時に人を獣にするが、味は生きる原動力になる。

友人で画家の佐藤健吾エリオ氏からおじいさんの話を聞き、そう思った。

佐藤氏の祖父は戦後、シベリアに抑留された。祖父の家はみそ、しょうゆの醸造を営んでいた。抑留された時、苦労して手に入れた大豆でみそを作り、仲間にみそ汁を出した。一口すすったとき、皆の心に生きて日本に帰ろうとの思いが込み上げた。祖父の班だけ、帰還率が断トツに高かったそうである。

祖父はその事を誰にもしゃべらず、佐藤氏が小学校二年生の時、交通事故で急逝した。佐藤氏は成人後、祖父の抑留仲間から「あの時、一生懸命みそ汁をつくってくれて、みそ汁の懐かしい味に、私たちは生きて日本に帰るんだという気持ちになりました。あなたのおじいさんのおかげで希望を捨てず、こうして日本へ帰ってこられたのです」と、感謝の気持ちを聞いた。

来月、劇団四季の「異国の丘」の公演がある。出演予定者の一人、佐渡寧子の祖父もシベリア抑留体験者だった。佐渡さんが、抑留者の間で望郷の念をこめて愛唱された「異国の丘」と同じ題名のミュージカルに出演することを聞き、はじめて自分が抑留者であることを話した。

佐藤氏は「祖父はいつ祖国へ帰れるかどうかもしれぬ捕虜でした。抑留のつらい体験は想像のつかないストレスで、強いPTSD(心的外傷後ストレス障害)だったのでしょう。多くの抑留者が語ろうとしないのも同じ理由からでしょう」と話した。語ろうとすれば獣を見たことも思い出すのだろう。

幼いころなじんだおふくろの味の記憶が、運命を左右することもあることを学んだ。

私の診療所でも、他の病院から来た腸閉塞のため絶食の患者さんが、厨房特製のアイスペロペロキャンディーや 果物シャーベットを口にし、笑顔や活力が戻ることをよく経験する。味強し、である。

平成18年10月13日 南日本新聞「南点」掲載