わすれられない一冊の童話
私はとても大切にしている一冊の絵本がある。
その絵本の表紙の裏には私がここ6,7年で看取った患者さんの名前が書いてある。その数は優に350名を超え、殆どが癌の患者さんである。そして、この絵本は多くの遺族の方にグリーフケアの一環として差し上げている。
絵本の題名は「わすれられない おくりもの」(評論社刊)である。
みんなに尊敬されていたアナグマが亡くなり、モグラやカエルやキツネ等森の仲間達は悲嘆にくれ、なかなか立ち直れない。
「みんな、なにかしら、アナグマの思い出がありました。アナグマは、ひとりひとりに、別れたあとでも、たからものとなるような、知恵や工夫を残してくれたのです。みんなはそれで、互いに助けあうこともできました。」
森の仲間たちはやがて、アナグマが残してくれたものの豊かさに感謝し、そして、アナグマがすぐ近くにいるような気持ちになるのである。
愛するものを亡くした者は、未来の時間を失ったと思う余り、過去の豊かな思い出までも忘れてしまい、悲観にくれ、厭世感に浸ってしまう。そのような人の心にこの絵本は一灯の光を灯してくれる。看取った患者さんの焼香に行くと、しばしば遺影の近くのこの本が飾ってあるのが、その証であろう。
作者のスーザン・バーレイ女史とこの8月にお会いすることができた。念願であった。本誌の編集に携わっておられる伊藤様がスーザン女史の絵本を出すことになり、日本へ招待された折、紹介して頂いた。伊藤様は私の友人の友人であり、私が「わすれられない おくりもの」を宝にしているという話を友人伝に聞き、お会いできる機会を作ってくださった。
スーザン女史に、亡くなった方々の氏名がぎっしりと書き込まれた本をお見せすると、彼女は一瞬はっとし、そして、温かく、少し、涙をためたような眼差しで、「thank you 」と言われた。私自身も胸に迫るものがあった。本を手渡した時、私が看取った患者さんの思いも一緒に渡せたような気がし、彼等との約束を一つ果たしたような気がした。
現在30歳後半のスーザンがこの絵本を描かれたのは20歳前半で、お婆さんを亡くした経験が絵本を描くきっかけになったそうである。
伊藤様が今回企画なさった絵本は作家の三木 卓氏の物語にスーザン女史が絵を描いた作品である。
新しい絵本の題は「りんご」と名付けられた。
山登りの男が何の気なしに捨てた林檎の芯を食べたリスが、残った種を育て、立派な林檎の木になり、沢山の実を森の仲間みんなでわかち合う、「いのち」を紡ぐ温かい物語である。
「わすれられない おくりもの」が亡くなっていく人からのメッセージであるとすれば「りんご」はこれからの世代へのメッセージとも言える。
私はスーザン女史にプレゼントを渡した。それは、「わすれられない おくりもの」の続編の物語である。「天国のアナグマさん おげんきですか」という題で、逝った人に対する遺された者からのメッセージを綴った内容である。
どのような不幸が身の上に起きようが、愛し合った者との思い出を消し去る力はない。しかし、人は不幸の真っ只中にいると思い出を自ら忘れてしまう。一日でも早く思い出を思い出すために、「わすれられない おくりもの」は最も有効なトランキライザー、もしくは覚醒剤である。
伊藤様がスーザン・バーレイ女史に
「今回、日本で最も印象深かったことはなんでしたか」
と、質問したら、
「堂園ドクターの絵本でした」
と、答えられたとお聞きし、天国の患者さんに私の思いが届いたような気がしました。
スーザン女史が私の物語に絵を描いてくださると約束して下さったが、あの世の患者さんからの後押しがあれば、実現するのはそんなに、長い先ではないだろう。
天国の皆様、宜しくお願いします。