休次郎は小学校の教員をしていましたが、「もっと世の役に立ちたい」と思い立ち、熊本医学専門学校(現在の熊本大学医学部)に入学しました。卒業後は鹿児島県立大島病院に勤め、後に現在の高速道吉田インター料金所近くで開院しました。
壮意の夢は「ブラジルで医療をすること」でした。残念ながら戦争でその夢がかなうことはありませんでしたが、軍医としてパプアニューギニアに赴任し終戦も現地で迎えました。
医師として人間として、病だけでなく社会も治すために精力的な活動を続けています。